ド素人のRPG制作現場潜入レポ

~⑫最後にして唯一の敵「世界」とRPGの今後について~

こんにちは。ケムコ社員Nです。
連載12回を数えた本連載もこれで最終回となります。
大学時代に書いていた骸骨人間がメイドに膝蹴りを行うSF小説が5回か6回の連載だったので、回数でいえば本コラムが人生最長の連載・・・のようです。
だいたい3か月続いた計算になるでしょうか。
クリティカルな時期にふって湧いた話でなかなかタフな進行になりましたが、振り返ってみるとやはり感慨深いものですね。

と、殊勝な前置きを終えましたので、残るページでは最後まで暴れてまいりたいと思います。

最終回では「世界」が主要テーマとなります。
スマートフォンというプラットフォームは、そのものが米国企業によってグローバル展開前提で始まったもので、そもそも日本という国は彼らの(重要ではありますが)数あるマーケットの1つでしかない。
この現状に、多くのスマートフォン向けデベロッパー・パブリッシャーたちは「世界」というものにそれぞれ向き合わざるを得ない状況となっています。
ただ、ケムコについてはちょっと事情が異なる向きもあるのですけどね。
  • そも、RPGとは
  • ケムコのあしあと ~海外パブリッシャーとしての側面~
  • RPGと世界と日本 ~我々はガラパゴスにいるのか?~
  • 世界との戦い
テーマは少ないですが、それぞれヘビーなコンテンツになると思います。
正直、少々怖くもあります。
筆者はRPGに対しても世界に対しても、ケムコの社内で少々特異な立ち位置にいるため、おそらく体験や思想の大部分を会社と共有していません。
それでいて、そこまでものすごいゲーマーではないため、RPGマニアと呼ばれる方からすれば知識面でおぼつかない点は多いでしょう。
ぶっちゃけめちゃくちゃ怒られるかもしれません。
それでも、勇気を出して書きすすめようと思います。
問題提起や業界への警鐘になりたい、というと大きく出過ぎかもしれませんが、広島という片田舎のゲーム会社に務める元生物学研究者がゲームについて語るという基本コンセプトに立ち返り、ニッチで斜に構えたひねくれコラムを最後まで続けたいと思います。

どうか、おおらかな心でご笑覧いただければ幸いです。

そも、RPGとは

最後なので、本コラム名物の今さらな問いかけというやつもやっておきます。
最終回にしてようやくRPGについて話すのかよって話ですが、これについては語りたいこと・語るべきことともに沢山あるため、諦めてお付き合いください。

●全ての始祖「テーブルトーク・ロールプレイングゲーム」

「RPG」の略称が「ロールプレイングゲーム」であることは皆様もご存じでしょうが、日本のゲームシーンでその本来の意味を知る人はおそらく減少傾向にあると考えています。
ロールプレイングって何だか知っていますか?

Role(役割)Playing(演技)です。

そもそも「ロールプレイングゲーム」というものはデジタルゲームではありませんでした。
今となっては懐かしいコラム第1回でも、このように説明していましたね。

かつてRPGはルールブックとサイコロを用いて遊ぶアナログゲームでした。

こう書かれても正直、想像がつかなくないですか?
小学生時代、当時アスキー様から出ていたRPGツクール・DANTE98(PC-9801というNECの国産コンピュータで動作するRPGツクールのかなり初代にちかい作品)の解説でこんな説明を目にした筆者も全然想像つきませんでした。
その疑問がようやく解けたのは、高校生になってから実際にルールブックを読み、その内容を知ってからです。
ものすごーく簡単に説明すると、アナログで遊ぶテーブルトークRPG(TRPG)とは、以下のような遊びです。
  • 数人のプレイヤーと、1人(またはそれ以上)の司会者=ゲームマスター(GM)によって遊ぶゲームです。
  • プレイヤーは、ルール(様々なルールブックが存在します)に従ってキャラクターデータ(名前、容姿、性格といった面から、いわゆる強さ、素早さ、強靭さといったパラメータまで)を作成し、キャラクターシートという紙にまとめる。
  • ゲームが開始すると、GMはキャラクターが置かれた状況を説明する。例えば

    GM:「きみたちは薄汚い洞窟の中で、全身をロープでガチガチに縛られていた。村の衆に依頼された魔物駆除に失敗したのだ。少し離れたところには醜いゴブリンたちが巨大なキャンプファイヤーを焚いており、数分後にこの火にかけるであろう獲物のことで興奮している様子だよ」

    みたいな。
  • プレイヤーたちは、それぞれ自分ができそうなこと、やりたいことをGMに提案する。この時にキャラクターの演技をすると楽しい。例えば

    A :「くそう、ゴブリンどもめ! ロープを力ずくで引きちぎれないか!?」
    B :「わたしはエルフよ、魔法でロープなんて焼き払うわ!」
    C :「GM、シーフである俺は、縛られる前に機転をきかせ、小細工をしていたことにできないだろうか」
    D :「わたくしはとりあえずゴブリンどもに罵声を浴びせておきますヨ!」

  • GMはプレイヤーたちの行動に対して、適宜ゲームルールを適用しながら、結果を伝えていく。

    GM:「まず、ルールブックによると通常のロープを引きちぎるにはSTR(強さ)が16以上必要だ。きみのキャラは足りていないから、身をよじるだけだね。
    次にきみだが、ゴメン言い忘れた。君たちはさるぐつわも噛まされている。ルールによるとエルフの古代魔法は詠唱が必要なので魔法は使えない。そもそもそんな簡単に突破できるならこんなピンチになっていないよ。
    さて、シーフのきみ、なるほど面白い提案だ。サイコロを2つ振りたまえ。その合計値をINT(知性)に加えた値が20を超えていたら、君はとっさに縄目を掴むことを思いついていたことにしよう。成功すればすぐに縄を解いて動けるぞ。
    ただし、最後のきみが余計なことをしたせいで、ゴブリンたちは機嫌をそこね、先にとどめをさしておこうと近付いてくるけどね」

  • 戦闘が始まれば、プレイヤーは戦闘ルールに従って、行動を選択(剣を振るうのか、魔法を唱えるのか、回復アイテムを使うのか・・・)し、GMがあやつる敵キャラクターと戦うことになる。
  • こういった進め方で、迷宮を探索したり、GMが演じるキャラクター(Non Playable Characters = NPC)と会話をして情報を聞き出したりしながら、宝探しや怪物退治を楽しむ。
このように、サイコロを使って乱数を生み出し、ルールやパラメータでゲームとしての公平性を保ちながら、各自、工夫や知力、アドリブ力などで苦境を切り開きつつ、ごっこ遊びを楽しむことで世界への没入を深めるという、なかなか独特な遊びなのです。
なおTRPGにおけるゲームの進め方(マスタリング)はGMごとにかなり異なります。
シナリオを買ってくることもできますし、ルールに則ったシナリオを詳細に作り込むことも可能・・・さらには完全アドリブで臨む猛者もいます。

ともかく。
このように、演じることが楽しみのひとつとして明確にあったのがTRPGです。
TRPGは今でも連綿と(細々と)生き残っているゲームジャンルですが、実のところ、今のRPGという呼称はコンピュータRPGに奪われてしまっていると言わざるを得ないでしょう。

●コンピュータRPG

最初のTRPGと呼ばれる「ダンジョンズ&ドラゴンズ」が発売されたのが1974年・・・もう40年前ということになるのですね。
現在のRPGの直接の系譜を上記TRPGに求めるのは、実はどうかなーと思わなくもないのです。
大部分の日本人にとってコンピュータゲームの歴史はファミコンから、もっと言えばスーパーマリオから始まっていると思うのですが、コンピュータゲームの歴史はもっと古いですし、RPGについても、さまざまな要素の原型は、海外のパーソナルコンピュータで遊ばれていたものに見出すことができます。
1975年代には既にTRPGをコンピュータゲームに持ち込もうという試みが、アメリカの大学等において存在したようですが、ちょっとハッキリした情報がないため割愛。

「コロッサル・ケイブ・アドベンチャー(1976年、アメリカ)」
文字でシチュエーションが説明され、プレイヤーがキーボードで文字により行動を入力する、テキストアドベンチャーというジャンルの始祖にして、「アドベンチャーゲーム」というジャンル名の起源である記念碑的作品。
文字だけで構成され一切グラフィックが出てこないこの作品は、アドベンチャーゲームを語る上でより重要になる作品になるのですが、ストーリーをコンピュータが語るという発想自体はRPGに通じるものがあります。

「アカラベス(事実上の「ウルティマ」シリーズの原型、1979年、アメリカ)」
「ウルティマオンライン」を遊んだことがある方はおられるかもしれません。
超多人数型オンラインRPG(MMORPG)群雄割拠時代に入る前、世界を席巻した怪物MMORPGが「ウルティマオンライン」ですが、オリジナルの「ウルティマ」も(特に海外では)有名なタイトルであり、ソーサリア大陸を舞台としたファンタジーの物語が描かれます。
その原型が「アカラベス」であり、文字によるストーリー描写に加え、2D見下ろし型のフィールド描写、3D自己視点型のダンジョン描写という2種類の表現方法を既に確立してしまっています。
さらにキャラクターのパラメータを基準に戦闘を処理するという発想もこの作品では見られます。ちなみに本作はリアルタイム戦闘であるようです。

「ウィザードリィ(1981年、アメリカ)」
日本でも3D自己視点型ダンジョンRPGの老舗タイトルとして有名ですが、ターンベースのコマンド入力戦闘などの要素を確立した面で以降のRPGに多大な影響をもたらしました。

これらはすべて当時のPCで遊ばれていたものですが、当然ながらPCは極めて高価かつ(今の基準で考えれば)使いづらいものだったため、爆発的に売れることはありませんでした。
当時アメリカには「Atari 2600」という、ROMカートリッジ交換で色々なソフトが遊べる家庭用ゲーム機の始祖が既に存在しました(発売1977年)が、こいつが実際に売れるようになったのは1980年に、日本生まれのアーケードゲーム、かの「スペースインベーダー」が移植された後のことだし、そもそもクソゲー乱発による『アタリショック』によって一度市場が壊滅・・・などとレトロゲー横断コラムになるとキリがないのでこの話はここまで!詳しくないしね!
ざっくり言えば、家庭用ゲーム機が真に人口に膾炙するのは、日本が誇るファミリーコンピューター(国内では1983年発売、北米では1985年発売、その際の名称はNintendo Entertainment System=NES)が生まれてからで、RPGの一般ユーザーへの浸透もそこからということになります。
なお、80年代中盤以降、日本でもRPG史において重要とみなされている作品がPC向けに複数出ており、既に様々な表現やシステムが試みられていますが、やはりこれも日本におけるRPGの爆発的人気の端緒と呼ぶには難しいようです。

よって、やはり、これに行きつくわけです。

「ドラゴンクエスト(1986年、日本)」
「剣と魔法の世界での冒険」をするための方法論のほとんどは70年代、アナログゲームの段階ですでにいくつも確立されていたし、それをコンピュータゲームに落とし込む方法論もいくつもできあがっていました。
国内においても、「ハイドライド」「ドラゴンスレイヤー」「ザナドゥ」「ドルアーガの塔」など、これらの作品に少なからず影響を与えたであろう先行作品は存在しています。
そういった意味で、この作品がTRPGからの直系であるとか、あるいはRPGの元祖だというのは、数ある先達に対する敬意を欠くという意味でも不適切だと思っています。
それでも、この作品は、これまでゲーマーのものでしかなかった幻想世界での冒険を、あらゆる面で「万人向けに解放した」という点において、計り知れない功績を持つと考えます。
安価な家電(または玩具)であるファミコンへのソフトウェアとして頒布されたという点。
それまでアクションやシューティングに席巻されていた日本の家庭用ゲーム市場に「ファンタジーの冒険」というものを持ちこむことに見事成功したという点。
その勝因となったであろう、画面構成、操作方法、ゲームバランス、ストーリーテリングの方法、そしてアート(シナリオ、音楽、イラストレーション全てにおいて最高のキャスティングが為されたことは疑うべくもありません)、全方面において高い完成度に行きついた点。
そしてその成功によって、翌年の「ファイナルファンタジー」リリースへの道を開き、日本におけるRPGの先鞭をつけたこと。

その功績とともに、大きな功罪をもたらすこととなった作品と言えるでしょう。

なお、この作品は欧米ではほとんど無視されています。
一方、同年わずかに先行して発売された「ゼルダの伝説」は極めて高い評価を得ています。
この違いは、今回のコラムで大きな意味を持ってきます。

ケムコのあしあと ~海外パブリッシャーとしての側面~

ケムコのゲーム部門は、ファミコンの発売の翌年である1984年に、ファミコン用にソフトを供給する目的で発足しました。
かなりの早期参入組だったと聞いています。老舗なのです。
ちなみにケムコは誕生年が筆者と同じです。だからなんだって話ですが。

第1回コラムではハッキリ書かなかったのですが、当時のケムコは海外で売れているゲームを翻訳・ローカライズして国内に売るというビジネスを数多くこなしています。
実のところ、当時のケムコのゲームとして知られている作品の中には、海外原作のゲームがたくさん含まれています。
「ダウボーイ」しかり、「スパイvsスパイ」しかり、「シャドウゲイト」しかり、「ファーストサムライ」しかり。
もっとも当時のローカライズは相当にクリエイティブな作業だったわけで、「シャドウゲイト」などはイラストも全て描き直し、さらに味わい深いテキストやBGMを付与したのはケムコの功績で、特にサウンドについては海外でも評価されているようですね。
なお、この頃のケムコは大作志向というよりは、手ごろなボリュームで目先の変わった作品を持ってこようという方向性のパブリッシュが多いように思います。
現状の主力商品であるRPGは、当時は特段主力というわけでもなく、幅広くあるラインナップの一角を示すに過ぎません。

ともあれ、こういった経緯から、ケムコは地方ゲーム企業でありながら、30年も前から「地道に世界と付き合っていく」方向性を持ち続けています。
海外出張などにいくと、想像以上に我々の存在を知っている人たちが多く、また、ビジネスで関わりがあったという中年・壮年の方々にも多数お会いします。

やがて大きな変革があり、ケムコが携帯電話のゲームパブリッシャーになったとき、やはり海外からのゲーム輸入という試みはありましたが、結果はあまり芳しいものではなかったようです。
一方で、携帯電話向けのRPGが大ヒットしたことから、ケムコはRPGの量産に向けて大きく舵を切ることとなります。
当時のメンバーはドラクエ、FF直撃世代。
狙う顧客層も同世代だったため、これは当たるべくして当たった施策と言えるでしょう。
しかしそれは同時に、日本で独自の進化を遂げてきたRPG=JRPGの『呪い』ともいうべき功罪に、ケムコもまた囚われることを意味してもいました。

RPGと世界と日本 ~我々はガラパゴスにいるのか?~

JRPGは、この30年で進化を遂げてきました。
ドラクエはドラクエでありつづけましたが、それ以外の作品は、方向性は多々あれど、基本的にはよりドラマティックに、シネマティックに、キャラクター要素をたっぷりと盛り込んでゆく方向に進化してゆきました。
国内でのマンガ、アニメ、ノベルといった媒体が国産のファンタジー作品の成立と爛熟を加速させたこともあり、RPGは沢山うまれ、現代のJRPGにおける様々な特徴が形作られることとなりました。

さて、海外のゲーマーが、現代のJRPGの特徴としてよく挙げる言葉を、以下に羅列しましょう。
  • old-school(古き良きもの、あるいは古臭いもの)
  • turn-based(ターン性バトル)
  • mill(石臼のこと、転じてレベル上げ作業等、単純な行動をゴリゴリ続ける苦痛にみちた行為のこと)
  • spiky-haired boy(ツンツン頭の少年)
言いたいことは分かるがちょっと待てと。

先ほど、海外では「ドラクエ」より「ゼルダ」がウケたと言いました。
海外でもRPGは大きく発展し、現代でもトップクラスの人気コンテンツであることは疑いありません。
しかしそれは明らかに「ゼルダ」や、あるいはもっと前の「ウルティマ」の系譜に連なるものです。
何が違うのか。
決定的なポイントとしては、ターン性コマンド入力バトルとリアルタイム性アクションバトルの違いが疑われるところです。
海外のレビュー等を見ていると、レビュワーがJRPGをコケにする時しばしば「ターン性バトルが時代遅れなナンセンスの産物である」という文脈を使っているのを目にします。
そういった主張において、論者はターン性バトルを、昔々マシンのパワーが貧相でリアルタイムの快適なゲームプレイが成立し得なかった時代の遺物だと決めつけてかかっており、それを未だに採用し続けている日本のゲームは時代遅れといううふうに断じているように読めることが多々あります。
さらに、彼らはリアルタイムアクションを颯爽とこなしてサクサク先に進むことを好み、何度もコマンド入力をし、何度もレベル上げをして進むことを好みません
また、「ゼルダ」を絶賛する向きの意見でよく見るのが「クリエイティブなステージ構成」です。
これはスーパーマリオとかにも通じますが、遊んで楽しいステージ、解いて楽しい(それでいて頭を使いすぎることのない)パズル要素といったものが好まれる傾向にあり、JRPGが進化で得たものから、それらは確かに抜け落ちていると言えるかもしれません(どちらかといえばJRPGでは、「感動的なストーリー」などに比重が寄っているように思います)。
キャラクター描写においても好みに違いがあり、これは文化の違いが大きいと思いますが、海外では往々にして成人男女が冒険に身を投じるケースが多いですね。
JRPGでは少年少女が主人公となるケースが相対的に多く、これが海外で「不自然だ」と敬遠されることが多々あるようです。
その象徴的な物言いが「また主人公はツンツン頭の少年だ!」だということ。

筆者に言わせれば、8割がた言いがかりです。
なぜそんなことが言えるかといえば、海外でJRPGは売れるからです。

ものすごく大きなマーケットではないかもしれませんが、JRPGの愛好家は確実に存在します。
ケムコはしばしばE3(Electric Entertainment Expo、アメリカ・ロサンゼルスで開かれる世界最大のコンピュータゲーム見本市)にブース出展しており、筆者も数度スタッフとして参加していますが、(その場にいるのがゲーマーもしくはゲーム産業関係者ばかりだということを勘案しても)JRPGは比較的好意的に受け止められています。
スマホでRPGをリリースした際も、評価点数はおおむね海外版のほうが高い傾向にあります。
北米にもold-schoolでturn-basedでmillでspiky-haired boyなRPGの需要はあるということです。
もしかすると北米の批評家や専門家、マーケターたちは、「自分たちは日本を置き去りにして進化し続けている」というストーリーを過信して、需要を見誤り続けているのかもしれません。

と、大きく出てみましたが、まあそう都合のいい話はないか。
実際、彼らの言い分で認めざるを得ない2割については、問題は間違いなくあるのです。
生物学でいうと、進化というのは環境への適応のことです。
その面でいえば、JRPGはその時その時の時流に合わせ、和製ファンタジーの発達に合わせて正統進化をしてきたといえるでしょう。
3D技術を取り入れ、アニメっぽい演出も沢山できるようになり、大量のボイスを搭載できるようになり……
しかしながら、RPGというカテゴリから生まれながら、全く新しい枠組みを作り出し、ジャンル自体の根幹を揺るがすような作品は、いくつ生まれたでしょうか。
JRPGは、その誕生の瞬間を除いて、突然変異やイノベーションをほとんど経験していないと、筆者は考えています。
JRPGはその構成要素が肥大化しすぎ、それぞれがゲーム体験と強固に結びついているため、安定感のあるフレームワークである一方、安定しすぎていて、突然変異を受けにくいのではないか、と。
それこそがJRPGの呪い、新たな変異を拒む安定性という功罪
あくまで私見に過ぎませんが、もしこれが真実なら、JRPGは御歳30年を迎えようとする長寿ジャンル、「old-school」であることを否定できないことになります。
特に最近は、新しいものが生まれておらず、また生まれにくい環境になっている。そんな気がしてなりません。

・・・というのはフェアではありませんね。
一応、最近も、突然変異のRPG群と思われるものはあります。
ソーシャルRPGです。

ガチャ、コレクション、フレンドなどの特徴から成り立つこれらのゲームは明らかにRPGの影響を受けており、RPGが大好きな日本人に向けてつくられた、RPGとは似て非なるものであり、なおかつ現代のゲームシーン(というかゲームビジネス)の中心を担っています
ソーシャルRPGのテレビCMを見ない日はなく、それがゲーム産業空前の収益をあげていることは想像にかたくないところでしょう。
(そのおかげで我々も儲けていると勘違いされがちですが、そうでもないですよ)

ただ個人的には、(既に「似て非なる」と書きましたが)ソーシャルRPGはRPGとは既に別物と考えたほうがいいのではと思っています。
一部のRPGから「モンスター」「バトル」「コレクション」等の要素を抽出して純化したのがソーシャルRPGですが、そこには既にRPGがかつて目指した「役割を演じてその世界に没入する」という原義はほとんど残っていません。
だから筆者は、テレビCMにおいて「本格RPG」を名乗るソーシャルRPGを見るたびに、違和感を覚えます(本当にRPGにかなり歩み寄っている作品もあるので一概には言えませんが)。
もちろん、ソーシャルRPGはソーシャルRPGとして面白いです。
筆者もいくつもソーシャルRPGを遊んでいますし。
しかしJRPGには、もっと別のイノベーションの方向性もあるのではないか。
ファンタジー世界に没入し、英雄たちになりきった体験ができるような全く新しいアプローチが生じ得るのではないか。
30超えてもまだファンタジー世界に遊びたい筆者は、まだ、その希望を捨てていないのですよ。

世界との戦い

ケムコはRPGを作っています。
こないだはソーシャルRPGにも挑戦しましたが、できる限り、これからもJRPGを作り続けていくことでしょう。
そしてそれを海外にも売り込み続けてゆくことでしょう。
なぜかといえば、我々は国内だけでは食っていけそうにないからです。
我々は決して大きな会社ではありません。
ものすごい製作費を突っ込んで、広告費を積み上げて、超大作ソーシャルRPGでぼろもうけ、というようなやり方は、我々にはきっとできないでしょう。
ケムコのRPGは小規模の佳作という評価を受けがちですが、ものすごい大規模なRPGもやはり難しいところです。
だから販路を広げる・・・海外の隠れJRPGファンたちにゲームを届けることで、販売本数を稼ぐという発想になるわけです。
もっとも、これが正しい生存戦略なのかはまだ分かりません。
我々の生き残る道はどこにあるのか?
今の方向性の作品を広める努力を続け、着実に支持を得ていくことかもしれません。
色々無理をして、意地でも大作を作り上げることかもしれません。
あるいは小規模でも目先の変わった、RPGという枠を揺るがすようなイノベーティブな作品を作ろうと試行錯誤することかもしれません。
ただ一つ言えるのは、どれにしても、他社さんに類を見ない挑戦になるだろうということです。

ここまで読んでいただいた皆様はラッキーかもしれません。
何しろ、我々ほどJRPGというジャンルにしがみついている会社は他にそうそうないでしょうからね。
きっと我々を見つめていればJRPGの行く末・・・次なる進化を迎えるか、あるいは化石として博物館需要を満たすのみとなるのか・・・を、目撃することができるに違いありません。

というわけで、これからもケムコにぜひご注目ください!

最終的にプロパガンダで締めくくったのできっと怒られないと思うのですが、コラム連載中最大にヤバい橋を渡りまくったため全文生き残る気がしません。
言う割にマイルドな内容になってるなと思ったら色々御察し頂ければ幸いです。
しかし、どうなるんでしょうね、JRPGとケムコの将来。
ゲームというのは本当に水物です。
ゲームで儲ける企業だってその通り。
本当を言えば、数年後にRPGを売っている保証だってありません。
まあ個人的には、ヘンな引き出しはそれなりにあるんで、ゲームを作ってる限りは、この仕事を楽しんで続けられると思います。
ただ、願わくば、どんな時も、自分たちが面白いと思うゲームを作り続けたい。
それで定年まで頑張れればなあ、とは思います。

はてさて、ド素人はこの6年で、ゲームクリエイターのはしくれ程度にはなれたでしょうか?
もし読者の皆様の目から「なれた」と見えたなら、それは他のあらゆるド素人の皆様にチャンスがあるということです。
ロクでもないけど面白い世界です。
知ってて来るなら、歓迎します。
新たな生贄ホープたちの到来を、先輩ヅラして待ってます。

それではまた、どこかでお会いしましょう。

【ざんねん!!わたしのコラムはおわってしまった!!】


※keitai-info@kemco.jp へのご感想も、これからもずっとお待ちしております。
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