■鑑賞のポイント
平安末から鎌倉初期にかけて腕を振るった仏師の運慶(?~1223)は写実性を重んじたといわれる。天才仏師が求めた「リアル」とは何だったのか。主な出展作品から探る。
■目に注目 「玉眼」「彫眼」使い分け
目は口ほどにものを言い……。運慶は「玉眼(ぎょくがん)」を用いることで、仏像に生き生きした空気を与えた。
玉眼は、コンタクトレンズのような形をした水晶の板を仏像の顔の内側からはめ込み、瞳や血管を色づけする手法。
目が輝きを得て、まさに生きているかのような印象を与えることができる。
和歌山・金剛峯寺の国宝「八大童子立像(はちだいどうじりゅうぞう)」(1197年ごろ)は、静かだが強い決意を感じさせる制多伽(せいたか)童子、落ち着き払ったような矜羯羅(こんがら)童子など、多彩な表情を見せる。奈良・興福寺北円堂の国宝「無著(むじゃく)・世親菩薩(せしんぼさつ)立像」(1212年ごろ)は、5世紀に実在したインドの高僧。壮年の落ち着きを感じさせてくれる。
一方で、運慶は玉眼を多用することは避けた。無著・世親を従える北円堂の本尊、国宝「弥勒(みろく)如来坐像(ざぞう)」(1212年)では目を彫り刻む「彫眼(ちょうがん)」とした。特別展「運慶」には出展されない。「如来は精神的進化の格が人間と違う。運慶はそれを表したのだろう」と、興福寺の金子啓明(かねこひろあき)・国宝館長は話す。運慶は見た目のリアルだけを表現したのではない。