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スカチャンヤジマリー。:「父」

 

 

人気コンビ芸人のおふたりに、お互いお題を出し合ってコラムを書いて頂く「コンビ芸人交換コラム」。第3弾の交換コラム担当は、スカチャンのおふたり!

今回、執筆を担当するのはこの人!

スカチャン ヤジマリー。さん

 

宮本さんからのお題
「父」

 

父は僕が嫌いだった。
そして
僕も父が大嫌いだった。
 
 三人妹弟の長男の僕の学生時代は、学校をサボりバイクを乗り回し喧嘩に明け暮れ地元じゃ名の知れた不良…なんてことは全くなく
特に反抗期もなく自分で言うのもなんだが手のかからない真面目な子だったと思う。
  
そんな僕に父は厳しかった。
「おはようございますの声が小さい!」と頭にゲンコツ。
「なんだこのテストの点数は」とゲンコツ。
「またこの点数か!」とゲンコツ。
「どうやったらこんな点数がとれるんだ!」とゲンコツ。
  
1つ言い忘れたが、僕は勉強が全く出来なかった。
真面目で勉強の出来ない子だったのだ。
 
そんな勉強の出来ない僕を見兼ねた父は、僕が中学生にあがると同時に、毎朝5時に僕を叩き起こし勉強会を開いた。
 
 成績が上がるようにと、毎朝5時から7時までの2時間、父と2人の勉強会。
「なんでこんなのも分からないんだー!」とゲンコツ。
「答えが違うー!」とゲンコツ。
「字が汚い!」とゲンコツ。
ゲンコツされながら泣きながら勉強した。
「なんで泣いてるんだー!」とゲンコツ。
 
ゲンコツといえば聞こえは可愛いが、自衛隊出身の父のゲンコツはゲンコツの域を遥かに越えていた。
 
休みの日になると朝2時間、朝ごはんを食べて9時〜13時、お昼ご飯を食べて15時〜18時、そして次の日も朝5時から…これが1年もの間続いた。
毎日が辛かった。朝起きたくなかった。
休みの日が待ち遠しくなかった。
まさに地獄の日々だった。
 
余計に勉強が嫌いになり、この勉強会も虚しく成績は下がる一方だった。
そんな僕に呆れたのか父は勉強会を辞めたのだ。
牢獄から解放された気分だった。嬉しかった。
でも父の気が変わりまた勉強会を開催されては困る!そう思った僕は自分で勉強した!
あの牢獄には二度と戻るまいと必死に勉強した!
 
その成果もあってか成績は学年トップまで上り詰めたのだ!
 
 なんて感動ストーリーはない!
全くない!
  
ただ勉強会を開催していた頃よりほんの少し成績が上がったくらいだったが、それを知ってか知らぬか、父が勉強会を開催する事は二度となかった。
  
しかし、それからも父は何かと理由をつけて僕に厳しかった。
仕事から帰ってくると、「啓太ー!啓太はどこだー!」と僕を探し回るのだ。その姿は鬼に見えた。
 
鬼に見つからないように、関わらないように僕は息を潜め生活していた。
そんな毎日が嫌で嫌で仕方なかった。
 
妹や弟に怒っている姿を見たことがない。
何故なんだ?なぜ僕にだけこんな怒るのだろう…?
そうか!父は僕が嫌いなんだ。
簡単なことだったんだ。
ならば僕も父を嫌いになろう、と思った。
  
高校生になった僕は、中学時代の勉強会に奪われていた青春を取り戻すかのように、部活動や生徒会活動、はたまた恋愛活動に忙しく動き回っていた。自然と家にいる時間も少なくなり、父とは話さなくなっていた。
別に話したいとも思わなかった。
母や妹や弟の事は大好きだったしとても仲が良かった。
 
父だけを避けていた。
いわばこれが反抗期なのかもしれない。
父だけに向けた反抗期。この反抗期は長く続いた。
  
大学進学のため僕は家を出ることになった。
僕が家を出る日、母と妹弟が見送ってくれたが、父は姿を見せなかった。
別に感謝の言葉を父に伝えたい!なんて気持ちもなかった。
父は父で僕に避けられている事も気付いていただろうし、逆にこの場にいないことが当然のようにも思えた。
  
家を出てから最初の数週間はキツかった。
大好きな母や、妹弟と会えない寂しさから、毎日涙しながら寝ていた。
そんな僕も少しずつ一人の生活に慣れ始め、20歳になり、お酒を覚え、東京での大学生活を謳歌していた。
  
そんなある日、母から連絡がきた。
『父が出張で東京に行くんだけど、啓太も20歳になったから一緒に飲みたいって言ってるんだけど…どうする?』
  
え!?父が僕と飲みたい!?そんな事をあの父が言うのか?鬼にそんな感情があるのか?
とその時本当に驚いた。
 
母の『…どうする?』も父を毛嫌いしている僕を知っているからこそ出た、気遣いの言葉だった。
 
そんな母の優しさに、僕は平静を装って
『俺も父ちゃんと飲みたいと思ってたからさ!うん、楽しみにしてるよ!』と嘘をついて電話を切った。
 
電話を切った手が震えていた。
明らかに動揺していた。
それは母も気付いていたと思う。
 
なんたって、父ちゃんなんて言葉を口にした事ないし、周りの同年代の皆が親しみを込めて言う親父(オヤジ)なんてとても言えなかったから咄嗟に出た『父ちゃん』。
父の事を父ちゃんと言った自分に対して笑いそうになったが、すぐ冷静になった。
 
まもなく僕は父ちゃんと2人きりで飲むのだ…。
  
『上野駅の不忍口に18時に着きます』
『分かりました!待ってます!』

これが父ちゃんと最初にしたメールのやりとりだった。
とても親子とは思えない程に距離感のあるやりとりだった。
 
緊張からか僕は3時間前にはもう上野にいた。
気持ちを落ち着かせるため上野の街をブラブラしながらお店を探した。
イタリアン?フレンチ?いや希少部位を扱う焼肉?日本酒の種類が豊富な店を探そう!
いやそもそも父ちゃんは日本酒好きなのか?個室が良いか?いやカウンターか?
なんて、初デートよりも頭を回転させてお店を探していたら、あっという間に待ち合わせの時間になった。
 
待ち合わせ場所に行くと、父ちゃんの姿があった。

数年ぶりに見る父ちゃんはあの頃の怖い鬼のイメージなど全くなかった。
とても小さく見えた。

なんて声をかけて良いか分からなく、
僕は『どうもっ!』と訳の分からない言葉で数年ぶりの会話の口火を切った。
 
『おぉ!不忍口ってなんか不気味な名前だよなぁ』
と、父ちゃんも僕に負けないくらい訳の分からない言葉を返してきた。
父ちゃんも緊張していたのだと思う。
 
 『店予約してるから』
とだけ伝え、店に向かって歩いた。
この気まずい無言の時間を掻き消けすように、上野の飲み屋街は賑わっていた。
 
『予約の矢島2名です!』
初デートより頭を回転させて探したあげく僕が決めたお店は、どこにでもある居酒屋チェーン店だった。
 
『ここ長野にもあるぞ』
と父ちゃんは笑った。
 
『お店決める時間なくてさ』
3時間も使って店選びをしたが結局ここになった、とは言えなかった。
そんな事言ったらまたゲンコツが飛んでくるかもしれない、そんな恐怖心が一瞬よぎったのだ。
 
『そうか!でもチェーン店が1番安心できるからな!予約ありがとう』
父ちゃんの口から出たありがとうの言葉に驚いた。父ちゃんからありがとうなんて言われた事がなかったからだ。
 
『すみません!僕ビールと…』
 『じゃあ、日本酒熱燗で一合ください。』
 
キンキンに冷えた生ビールとアツアツの日本酒で初めての乾杯を交わした。
 
『啓太も20歳になったかぁ』
 『うん』
 『夢だったんだよ』
 『なにが?』
 『こうやって息子と一緒に酒を飲む事が』
 『大袈裟じゃない?(笑)』
 『いや本当に夢だったんだよ。嬉しいなぁ』
 
『父ちゃんも20歳になった時、自分の父親と飲んだの?』
 『いや、飲めなかったんだよ。』
『飲めなかったの?』
 『うん。あれ言ってなかったか?俺の親父はまだ俺が小さい頃に亡くなっちゃったからさ』
 『そうだったんだ、知らなかった』
 
『うん…自分が親父と出来なかったからさ、啓太が生まれて来てくれた時に、この子が20歳になったら絶対一緒に飲むぞ!それまで俺は頑張って生きるぞ!って夢が出来たんだよ』
 
父ちゃんは続けた。
 
『言い訳に聞こえるかもしれないけどな、自分が早く親父を亡くしてるから、親父と息子って関係が分からなかったんだ。息子にどう接するとか親父とはこうあるべきとかな、全然分からなくてな、だから最初の子供の啓太には特に厳しくしてしまった。本当に辛い思いをさせてしまった。ずっと謝りたかったんだ。でもなかなか言い出せなくてな、本当に申し訳なかった。』
 
父ちゃんは泣いた。
父ちゃんが泣いているのを初めて見た。
自衛隊出身のゲンコツの強いいつも怖くて怒っていた父ちゃん。
僕の知らなかった父ちゃんの過去や姿を知って僕も泣いた。
 
父ちゃんの前で泣くのは初めてじゃない。
勉強会も含めていつも泣いてきた。
だから恥ずかしげもなく泣きに泣いた。
だけど今日の涙はあの頃の涙とは全く違った。
  
それから2人で飲み続けた。
そこからの父ちゃんは陽気だった。
 
『啓太は彼女いるのか?どんな子がタイプなんだ?モテるのか?』
 『俺が20歳の時は遊んでたぞ…』
 『俺のタイプは和久井映見みたいに目がクリッとした子で…』
 『母ちゃんと出逢った時はな…』
 『女ってのはな…』
 
と、酔って顔を真っ赤にしながら楽しそうに話す父ちゃんを見ているのが、とても新鮮で楽しかった。
  
『今日は楽しかった!ありがとう!今日言った事は母ちゃんには内緒だぞ〜』
と言って父ちゃんは長野に帰って行った。
  
その日、僕には夢ができた。
自分の子供が20歳になったら一緒に酒を飲む。
 
初めて父ちゃんとお酒を交わしてから15年、
36歳の僕は東京でスカチャンというコンビで芸人をしている。
 
相方は一昨年結婚、そして子宝にも恵まれた。
相方は自分の子供の写真や動画をこれでもかとデレデレしながら僕に見せてくる。
鬱陶しくもあり嬉しくも感じる。
 
父ちゃんも僕が赤ちゃんの頃、周りにデレデレしながら僕の写真なんかを見せていたのだろうか?
 
きっと見せていたと思う。
だって
父ちゃんは僕が大好きだから。
そして
僕も父ちゃんが大好きだ。

 

 

 

 

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