減災カレンダー

04.14

熊本地震 災害を乗り越えるために

ウェザーニュースでは、現地の状況を確認するとともに、5人の方にお話を伺いました。

ママ友とSNSで支え合う

西原村地域支え合いセンター

奥野 美樹さん(中央)

被害の大きかった西原村で熊本地震を経験され、3人のお子さまを抱えながら、当時の状況や避難生活でのお話を伺いました。

内容

「当時の状況について教えてください。」

前震が発生した時、すぐさま3人の子どもを抱え必死に守りました。その後の小学校での避難生活では、赤ちゃんにとって遅い消灯時間と闘う日々。ダンボールに赤ちゃんを入れて暗くするなど、身近なもので対応していました。

「災害に関する情報はどのように取得していましたか?」

SNSですね。普段から村のママ友と繋がっていたのでよく使っていました。ガソリンを入れに行くにしても停電により、遠くに行かないとならない状況だったので、避難中は代表で買い出しに行く人に色々頼んだりしていました。これは普段の繋がりがあるからこそ出来たことだと思います。

「熊本地震から1年が経過し、今思うことは何ですか?」

住む場所が変わり、子どもたちも思っているところは色々ありますが、今はその仮設生活も、全部楽しい思い出に変えてやろうと思ってて、前向きに進んでいます。

多くの関係機関と連携を

日本赤十字社熊本県支部

災害対策本部長 岡村範明さん(中央右)
熊本県青年赤十字奉仕団委員長 石本瑛寛さん(右)

余震が続く中、刻々と変化していく状況に対して、対策や活動を引っ張ってきたお二人の方にお話を伺いました。

内容

「熊本地震の際の活動内容について教えてください。」

岡村さん
熊本地震発生後に、日本赤十字社熊本県支部内に災害対策本部を設置しました。医療救急活動を中心とする情報管理や対応を行い、朝夕毎日ミーティングしながら、刻々と迫る状況に対応していきました。

石本さん
災害対策本部内に設置した災害ボランティアセンターで、他県から来る救護班へのナビゲーター役や、救援物資輸送の手伝いを中心に、活動を行いました。

災害時の移動はナビ通りに行ってもうまくいかないため、地元の土地勘を活かしたナビゲーター役となって、現地に安全かつ迅速に到達するためのサポートを行いました。

「それぞれの活動における課題はありましたか?」

岡村さん
一番難しかったのは、沢山の関係機関との連携です。短期間に震度7を2度観測するなど、想定外の事態に、環境が整うまで時間がかかりました。関係機関同士がお互いに支え合っていきたいです。

石本さん
無線が使える、小型飛行機やヘリコプターを操縦出来る、救急対応が出来るなど、特殊技能を持った特殊奉仕団の方との連携が課題です。それぞれの特殊技能を活かしたボランティア活動を行っていきたいです。

ネットワーク上で支え合う医療現場

熊本赤十字病院

国際医療救援部医師 細川 浩さん(中央右)
看護係長(兼)感染管理認定看護師 東 陽子さん(右)

医療現場の最先端で活動してきたお二人にお話を伺いました。

内容

「熊本地震の際の活動内容について教えてください。」

細川さん
普段は整形外科の医師ですが、地震の際には、院内災害対策本部における医療救護活動の調整や、被災地でエコノミー症候群とよばれるDVT(深部静脈血栓症)の予防啓発活動を行いました。

東さん
感染症を防ぐため、対策の実践や教育、巡回などが主な業務でした。例えば、一部の避難所では、余震からすぐに逃げるため土足で生活している所がありました。

土足での行き来で感染症を住環境に持ち込む危険性があったため、土足をやめるなどの提案するなどの活動を行いました。

「それぞれの活動における課題はありましたか?」

細川さん
阪神淡路大震災や東日本大震災での教訓が多いに活かされました。例えば、災害時派遣医療チーム(DMAT)やヘリ搬送システムの整理です。

そして、救護・支援者を取りまとめる災害コーディネーションなど、熊本県全体で総合的に管理を行った結果、効率よく進めることが出来ました。

ただ、このようなシステムはまだ他の救護団体に浸透していないので、熊本県をモデルケースに、ネットワークを通じて、他の団体に引き継いでいきたいです。

東さん
他の医療救援団体の感染対策チームにも来て頂きましたが、相互間での情報共有がうまく出来ませんでした。

県内外のチームを統括し、どこの避難所に行って欲しいなどの情報を1つにまとめ、共有出来る仕組みを作っていきたいです。

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