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年始はプロレス!新日本「WRESTLE KINGDOM 13」東京ドーム大会大特集

試合後の妥協なき儀式とは?愛読書は?好きな音楽は?NHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』登場、内藤哲也の秘密!

 ある番組に、アントニオ猪木が出ていた時のことだ。猪木にまつわるクイズを出す趣向だったのだが、うち、こんな設問があった。「猪木さんの、嫌いなものは?」すると、解答者の若い女性が答えた。「嘘!」すると、猪木は答えた。「色々騙されて、過去には事件もあったんですけどね~」唐突に話がリアルになったので、観ていた筆者も思わずのけぞってしまったが、それは番組の属性もあったかも知れない。“お堅い”(?)NHKでの、生放送だったのだ(番組名は、「昼のプレゼント」)

 その黎明期には、プロレスの生中継もおこなっていたNHK。以降、プロレスとの親和性は、決して高いとは言えなかったが、ここ数年、風向きも変わってきたようだ。同局で、プロレスを取り上げる機会が多発。今年7月の『クローズアップ現代+』では新日本プロレスが取り上げられたし、3月放送の『ごごナマ』でも、新旧織り交ぜてのプロレス特集が組まれている。

 そこに来て更なる朗報が。11月放送の『プロフェッショナル 仕事の流儀』にて、新日本プロレスの内藤哲也が特集された。同番組と言えば、2006年より12年続く、NHKの看板コンテンツ。快事と言って良いし、内藤の知名度が全国民レベルで広がることに、期待も持てよう。

 この内藤の快挙を祝して「内藤哲也の秘密」と題して迫る。

プロレス好きになったきっかけは?

 やはり外せないのは、今回の番組の副題にも、『少年の夢、リングの上へ』とあるように、なぜ内藤が、プロレス好きになったということだろう。

 こちらは、家族全員がプロレス好きだったからだが、特に父親の賢一さんが極度のプロレス好きで、いつも一緒にテレビで観ていたという。内藤が中学生の時は、『ワールドプロレスリング』の放送時間帯は既に深夜になっていたが、同輩たちとはプロレスごっこで遊んでいたというから驚きだ。出身が東京都だけに、夜更かしをする友人も多かった?

 プロレスラーになることを決意したのは、中学3年生時の1997年6月5日。この日、内藤は初めて自分でチケットを買って日本武道館にプロレスを観に行き、メインの武藤敬司に心酔。入場時、1万人以上の目を釘付けにした武藤の姿に、(俺も、必ず、プロレスラーになる!)との意を強くした。なお、この時の武藤は、メインでIWGPヘビー級王座に挑戦するも、王者・橋本真也に負けている。にもかかわらず、内藤のハートを持って行ったのは、やはりそのスター性やオーラによるものだったのだろう。ここから内藤が、勝負よりもリングでの存在感を重視していたことも導き出せよう。因みに、新日本プロレス好きも、父からの流れだが、デビュー時(2006年5月)、まだ、新日本プロレスのファンクラブの会員だったというから、会費が継続していたとはいえブレがない。

 なお、2011年を越えてからの父・賢一さんの口ぐせは、「哲也、ベルトはIWGPだぞ」。インターコンチネンタル王座やNEVER王座も出て来た時期だが、古参ファンらしい美学を伝えた。「IWGPが一番」という内藤のスタンスも、こちらが多大影響している。なお、内藤は、IWGP王座を奪取した直後、ちゃんと実家に見せに行き、賢一さんを大層喜ばせたが、その時の王者を示すプレートは、まだ前王者(奪取相手)の「オカダ・カズチカ」となっていた。そこで賢一さんは、「プレート、付け替えたら、また見せに来てくれ」と頼んだが、内藤はオカダとのリマッチに敗退。こちらの夢は先送りになっている。捲土重来を期待したい。

そのパフォーマンスの秘密

 決め台詞の「トランキーロ!」が生まれた契機が、2015年のメキシコ遠征時であることは間違いない。その際、現地のロス・インゴベルナブレスと合流し、その自由な戦いぶりに感銘を受けた内藤は躍動。ところが余りにそのファイトが奔放過ぎ、周囲に「トランキーロ!(焦るなよ)」と言われたのがきっかけとなっている。

 ところが、この「トランキーロ!」と声をかけた“周囲”が誰かについては、2つの説があるのだ、1つはルーシュらの、当時の同軍団メンバー。もう1つは、内藤の試合を観ていた(メキシコの)観客である。正直に書くと、インタビューによって、内藤もこの2つを使い分けている。事実としては、仲間や観客に言われているうちに、というのが正解だろうが、件の番組でもし取り上げられた場合、どちらの説になるかも見ものである。

 また、ノーリミット時代から使っている、目を指で囲むパフォーマンスは、実はもともと、メキシコのレスラーが、日本人選手の目の細さを馬鹿にする動作。これを逆利用したもの。「あの動きってなんだろう?」と思った視聴者の方に、改めてお役に立てば幸いだ。

 余談だが、内藤にスペイン語を教えたのは、当時は別団体だったBUSHI。2009年の下半期、内藤がメキシコに遠征すると、先に日本人レスラーとしてBUSHIがおり、内藤は同じホテルを利用することに。そこで、技名を始めとするさまざまなスペイン語を、BUSHIから学んだそう。そんな2人は同じアニマル浜口ジム出身で、しかも、同ジム入りにあたり、BUSHIはコンビニで働いていた内藤の噂を友人から伝え聞き、同コンビニまで訪ねて行ったことが。当時の恩返しというわけでもないだろうが、この辺りも押さえておこう。

その性格は?

 そして何より、番組の要諦となったのが、この内藤の、人となり。これについては、筆者の(周囲のレスラーの)インタビュー歴で恐縮だが、こんなワードが頻出する。

「人見知り」「結構ネガティブ」「孤高の人」etc……。何やら、必ずしも前向きでない言葉が並ぶが、つまり、座において、常に目立ち中心にいるというタイプでは(普段は)ないようだ。

「むかしから一人離れたところでトランクケースを開いて着替えたりしてたイメージはあります」(ミラノコレクションA.T.。ベースボール・マガジン社「スポーツアルバムNo.58 内藤哲也」より)

 内藤の持つ、“陽”のイメージからは意外だが、もう1つ、内藤を語る時、必ず語られる印象がある。それは、“異常なほどのプロレス好き”。メキシコ遠征時も、特に遊びに行かず、プロレスの動画ばかり観ていたという。

 好きな音楽は、「HOLD OUT」に「爆勝宣言」。それぞれ武藤敬司と橋本真也の入場テーマ曲だ。愛読書は、闘魂三銃士の3人が自伝さながらに自らを語ったノンフィクション『烈闘生』(幻冬舎)。単行本版と、加筆のある文庫版の両方を持っているというから筋金入りだ。

 そんな内藤のユニット、ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポンでは、実は試合後、ある儀式が。それは、試合後の反省会。「ここをこうすれば、もっと良くなる」と、内藤を中心に日々、自己達を研鑽しているのだ。内藤の、プロレスへの飽くなき思いをもっとも象徴する挙動なのだ。

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