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2003年、「泥人魚」の初演で天草四郎にふんした唐十郎さん(右)。左は久保井研さん(劇団唐組提供)

 唐組の舞台を初めて見たのは2003年の「泥人魚」だ。唐さんは泥水入りの水槽に飛び込み、その後も演じ続ける。大半の演劇人が名を成すと設備の整った劇場に移る中、唐さんは頭部を負傷するまで紅テント用に作品を書き、手作りの小さな舞台に立ち続けた。

 「テントは地下からはい出した穴のようなもの。穴には人と人がつながる回路のイメージもある」とは唐さんのテント観だ。原風景は、終戦直後の復員兵ひしめく上野駅の地下。郷愁に満ち、昼間の世界では生きられない人やモノの悲哀をつづった独特の劇世界を展開させるのには、最もふさわしい空間だったのだ。

 テントを揺らす風雨や都市のノイズに抗(あらが)って、汗だくの俳優たちがまくし立てるセリフは荒々しくも詩的。文学や哲学、映画の豊富な知識に裏打ちされ、時代や人間の深層を暴き出す。ほかでは得られない刺激を求めて、作家や映画監督、編集者、文芸評論家、大学教授ら、商業演劇とは異質の観客が集まった。

 終演後はテント内で酒盛り。唐さんは麦焼酎をあおりながら、記者を起立させて感想を求めたが、それが一番苦手だった。唐さんの戯曲は一度見ただけでは理解できない。ただ、何とか語り終えると「ありがとね」と笑ってくれた。

 長年書き続けた理由を尋ねると「分からないことに立ち向かうためです」と言い切った。自衛隊の海外派遣、長崎の干拓事業など扱うテーマは社会的だったが、政治性やイデオロギーは表に出ない。歴史や社会の激動で傷ついた人や生活にフォーカスすることで作品群は普遍性を持ち続けた。

 1964年に初めて書いた戯曲はカレンダーの裏に書いた。その名残で戯曲は白無地の大学ノートにびっしりと小さな整った文字を横書きする。大胆な発想と繊細な心で時代を駆け抜けた。(編集委員 祐成秀樹)