昔の人は、和漢洋、つまり日本、中国、西洋の知を書物を通してバランスよく取り入れてきた。
その顕著な例が、数々の優れた翻訳語である。
たとえば「新聞」「演説」「哲学」「社会」「資本」「思想」など、現代の日本語になくてはならないこれらの言葉は、実はもとから日本語として存在していたのではなく、翻訳語として定着したものなのだ。
これを読んで初めて知ったという人も多いのではないだろうか?
たとえば、英語の「ニューズ」という言葉は、今「ニュース」とそのまま言っているが、中村敬宇という人は「新聞」と約した。ニューズ、それを新たに聞く。これが今の「新聞」という言葉の起源になった。
「スピーチ」という言葉は、...
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昔の人は、和漢洋、つまり日本、中国、西洋の知を書物を通してバランスよく取り入れてきた。
その顕著な例が、数々の優れた翻訳語である。
たとえば「新聞」「演説」「哲学」「社会」「資本」「思想」など、現代の日本語になくてはならないこれらの言葉は、実はもとから日本語として存在していたのではなく、翻訳語として定着したものなのだ。
これを読んで初めて知ったという人も多いのではないだろうか?
たとえば、英語の「ニューズ」という言葉は、今「ニュース」とそのまま言っているが、中村敬宇という人は「新聞」と約した。ニューズ、それを新たに聞く。これが今の「新聞」という言葉の起源になった。
「スピーチ」という言葉は、あの福沢諭吉が最初に「演説」と訳した。「演説」という言葉はもともと日本語にはなかった。
また「フィロソフィー」。これは西周が「哲学」と訳した。最初は「希哲学」だったが、のちに一字を省き「哲学」となったそうだ。
このように、現代の日本語を成り立たせるために必要不可欠な言葉は、明治以降に欧米から入り翻訳されいったものがほ数多くある。「社会」「資本」「芸術」「職業」「生産」「思想」…こうした言葉は、さらには、もともと日本が漢字を輸入した中国に逆輸出されていくことになった。
ちなみに日中の間でよく「歴史問題」が取り沙汰されるが、この「歴史」という言葉も、もともと中国にはなく、日本から「歴史」という言葉が逆輸出されて中国に入り「歴史(リシ)」と呼ばれて定着している。
日本の知識人は、欧米から入った未知の言葉を1つ1つ日本語に翻訳していったわけだが、便利な辞書もそろっていない時代の翻訳の苦労は大変なものだったろう。こうした先人の偉業は、書物を通して得た和漢の教養と鍛え上げた論理的思考力があってこそのものだと言えるだろう。
昨今インターネットの翻訳サービスの精度があがってきたが、ここで書いてきたような過去の偉業があったからこそ成立しているということを、たまには思い出してみよう。
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