丸藤正道

misawa

プロフィール

  • ■身長:176cm
  • ■体重:90kg
  • ■血液型:0型
  • ■生年月日:1979年9月26日
  • ■出身地:埼玉県北足立郡
  • ■得意技:不知火、ポールシフト
  • ■入場曲:HYSTERIC
  • ■デビュー:1998年8月28日、愛知県岡崎市体育館、vs金丸義信
  • ■主なタイトル:GHCヘビー、GHCタッグ、GHCジュニア、GHCジュニアタッグ、白GHC、世界ジュニア、IWGPジュニア、WEWタッグ、スーパーJカップ優勝、ディファカップ優勝、グローバル・タッグリーグ戦優勝

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主な経歴

  • ▼主な経歴

    • ★2001年12月、高岩竜一を下しGHCジュニアヘビー級王者となったのを皮切りに、2003年7月、KENTAとのコンビで初代GHC ジュニアヘビー級タッグ王者となり、前人未到のV9達成。

      ★ジュニアの枠にとらわれない戦いを目指し、グローバル・ハードコア・クラウン無差別級王者も経験。鈴木みのるとの越境チームでGHCヘビー級タッグ王座にも輝き、海外での防衛に成功するなど、名実ともに戦いの幅を広げた。

      ★2006年9月には秋山準を破りGHCヘビー級史上最年少王者となり、ノア初のGHC全タイトル制覇。12月、三沢光晴に破れベルトを失う。

      ★2007年7月、日テレ杯争奪ジュニアヘビー級タッグリーグ戦にDDT・飯伏幸太とのタッグで出場。最終戦でKENTA&石森太二組に破れ、2位タイで終了。8月、GHCヘビー級選手権次期挑戦者決定リーグ戦を制覇。9月、三沢光晴に挑戦するも王座奪取ならず。10月、杉浦とのタッグでディーロ&ブキャナン組を下し第16代GHCヘビー級タッグ王者となる。

      ★2008年5・23新潟大会でバイソン&齋藤に破れタッグ王座失ってしまった。デビュー10周年の区切りと再びジュニア戦線に飛び込み、古巣・全日本に乗り込み世界ジュニアに挑戦し王座奪取。KENTAとドロー、近藤修司、菊地を退けV3。近藤戦は08年プロレス大賞・年間最高試合賞を受賞した。09年初戦でNOSAWA論外にV4。しかし、カズ・ハヤシに奪われてしまった。

      ★2009年、自身がプロデュースする興行『不知火 為虎添翼』の第1弾を成功させ、第2弾の準備をしていた矢先に右ひざ前十字靱帯断裂の大怪我を負い長期欠場。12月6日武道館大会、青木篤志“閃光十番勝負”の第9戦の相手として復帰すると、同月に新日本で行われた『SUPER J-CUP 5th STAGE』に出場し大会初の2連覇を記録する。

      ★2010年1月4日、新日本・東京ドーム大会にてタイガーマスクを破り、IWGPジュニア王座を奪取。史上初のジュニアグランドスラムを達成し、V5に成功した。ノア10周年記念第1弾7・10有明大会では金丸との初のタイトルマッチを行うも敗れる。第2弾7・24大阪大会では新日本・中邑真輔と初遭遇、7・25DDT両国大会で試合中に負傷。以後欠場となるも、12・5武道館におけるKENTA戦で復帰を果たした。

      ★青木とのタッグを復活させGHCジュニアタッグを奪還、V2に成功するも、試合中に古傷の頚椎を負傷し欠場。タッグ王座も返上となった。11月の杉浦戦で復帰を果たした。

      ★杉浦と再びタッグを結成し、さらに石森、ヨネ、リッキーと合流し勢力を拡大。軍団名「BRAVE」に決定し、他の軍団との全面対抗戦を繰り広げる。12年5月26日有明でヨネとタッグを組み、秋山・齋藤が持つGHCタッグに挑戦するも敗退。12月9日両国大会で、斉藤&潮崎組が持つGHCタッグに再び挑戦し、勝利。GHCタッグ戴冠となる。

      ★2013年3月、後楽園ホール大会にてCHOAS・矢野&飯塚組に敗退しGHCタッグ王者から陥落。

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